children

桜井さんは昔から
「僕たちが精子
リスナーである卵子のもとに曲が届いて
受精してそこで新たな意味が生まれる」
そんなイメージを繰り返し言っている。

それを念頭におくとMr.Children
childrenがとても意味深く
さまざまなメタファーを含んだもので
考え抜かれたものであるかのように聞こえる
(実際は違う)。

これまで幾度となく受精を繰り返してきた身としては(笑)
Mr.Childrenの音色は心地よく、
欲しいところに欲しい音がくるのだ。

さすが桜井さん、ここでこうくるよね、
それが最高だよね!といつも思う。

そして時に、そうきたかー!!
といい意味で予想を裏切ってくれる。
桜井和寿のすごいところは、
その裏切りがいつも絶妙に心地よく、
こっちが「してやられた!参った‼そうくるなんて…!!!でもそれがいい‼」となってしまうこと。

まだまだこんな見せ方もできるんだから‼と
桜井さんの幻聴が聴こえるほど、
それはもう見事に新たな可能性、無限の引き出しを見せてくれる。

それが楽しい。
そして嬉しい。
だから一つ一つの音がどんな顔を見せてくれるのか、
精子であるMr.Childrenはどんな表情、
どんなとりかたでその音を奏でてるのか。
それが見たくてライブに行く。

と、前振りが長くなったが、
つまりMr.Childrenのサウンドは
私にとってすごく心地よくて、
その絶対的なサウンドとバランスを私は常に求めているのだ。

そんな私は基本的にMr.Children以外の楽曲を受け付けない。
Mr.Children以外の音楽とは受精できないのだ。
もちろんMr.Children以外を全てシャットアウトしているわけではない。
しかし、しっくりこなさ、
違和感を感じることが多い。

そんな私だが、この頃終わりを常に意識している
という桜井和寿の今を追い求めたくて。
少しでも今を共有したくて。
最近聞いている音楽がある。
それがウカスカジーである。

しかし。
やはり馴染まないのだ。
ウカスカジーの音楽が悪いとかではない。
ただ私の聴く体勢が融通がきかないだけなのだろう。
どこか違和感を感じてしまう。
それはそれだけ私がMr.Childrenを好きだという裏返しかもしれない。

そうなることはわかっていた。
それでも、きっとMr.Children以外受け付けない私には
ウカスカジーが必要なんだと思った。

今回のツアータイトル「ポジティ部」を見たとき、
私に足りないものだと直感的に思ったのだ。
底抜けにHAPPYなコミュニケーション、
それこそ私に足りないもの。
そして内面を掘り下げ、常にアンビバレントな葛藤を歌うMr.Childrenでは得られないもの(笑)
だからウカスカジーで底抜けHAPPYになろうと思って
ライブに行くことを決めた。

一週間後、底抜けHAPPY野郎になってくる(予定)。

ちなみに「HAPPY HOUR」がHAPPY野郎に聴こえるんだ。